三原橋地下街取り壊し2013/03/08 00:35




1952年(昭和27年)12月1日に完成した地下街で、現存する日本の地下街としては上野駅地下鉄ストア(現・エチカフィット上野)に次ぐ古い歴史を持つ。地下街と南北の入り口上のビル(当初の名称は南側が三原橋観光館A館、北側が三原橋観光館B館[1])の設計者は土浦亀城である。1951年7月に東京都観光協会が東京都に60万円を寄付し、観光案内所の設置など観光目的での使用許可を得た。観光協会は事業委託という形で新東京観光株式会社に運営権を与えたが、同社は条例で禁止されていた都有財産の又貸しを行ない、パチンコ店や飲み屋などの出店が相次いだ。このため1953年には中央区議会などから抗議があったが、撤去はなかなか進まなかった。 日比谷線建設の際(1963年3月から)に一時地下街を閉鎖して大規模な改修工事が行われている[2]。

映画館「銀座シネパトス1, 2, 3」、飲食店などが入居しているが、耐震性の問題で取り壊しが決まっており、シネパトスは2013年3月末をもって閉館された



三原橋地下街取り壊し さようなら銀座シネパトス
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