ON THE ROAD'821982/12/16 23:50





82/12/16 佐賀市民会館
浜田省吾コンサートツアー”ON THE ROAD”









姉の親友から言付けられた封筒には
チケットが二枚 入っていました



”二人で行く予定で取っておいたチケット
代わりに行って上げて下さい”



年末、佐賀でに行われる浜田省吾のライブチケット…



姉は浜田省吾が大好きで、ボクもよく聴かされていました

ライブにも何回か通っていたようで、
年末の市民会館でのライブは楽しみにしていました



楽しみにしたクセに…

まったくよ…



ライブで盛り上がれる気分では全然無かったけど、
しょうがないです…行って上げないと


二枚あるので、サブちゃんを誘いました

当日は、サブちゃんが車を出してくれました
親父さんの年季の入ったクラウンです

迎えに来たサブちゃんを待たせ
姉の位牌を胸に仕舞いました

行きたがってたから、連れて行ってあげないとね


市民会館はイベントで何回か入った事がありましたが
ライブは初めてでした

ボクにとって初めてのホールライブが
こんな形になるとは…


席は、前から三列目
ステージ左側の特等席でした

こんな良い席で観れたのに…


浜省の曲は、姉に聴かされていたけど、
正直、今一入り込めずにいました

しかし、初めて触れる生のバンド演奏はとても新鮮で、
曲の印象を変え、いつの間にか曲に入り込んでいました


客を煽るバンド
浜省もステージを動き回り会場を盛り上げます

いつの間にか周りは総立ち
バンドのグルーブに答えています

サブちゃんも立ち上がっていました

多分会場で立っていないのはボクだけ

しかも、前から三列目ですから
座り続ける人間は浮いていたでしょう

心なしか、ボクの前に浜省が来て煽る頻度が
高くなってる気もしました

観かねたサブちゃんが、ボクに

「立たんね…」

と耳打ちしますが、ボクは頑なに座り続けました

ボクも立ってノリたかったけど、
このライブでボクが楽しむのは違う気がして…

今回、ボクは姉の黒子です
それに徹し、結局最後まで座り続けました



ライブが終わり駐車場へ向かうボクら

「ライブ、良かったね…」

と、サブちゃん

「うん…」

それは、正直なボクの感想でした

「ハラ空いたね…ラーメンば食べて行こうか
チケット代替わりに奢っよ」

そう言うサブちゃんに、ボクは黙ってうなずきました


いつもの長浜ラ-メンに着き、車を降りる時
サブちゃんは始めて、ボクの懐のモノに気付きました

ボクが立たなかった理由にも合点がいったような
複雑な笑顔で、ボクに言いました


「ラーメン屋に連れて行くのはよそうさい…」


そりゃそうか…そうだね

ゴメン…


車の中に姉を置いて、店に入りました



大好きな長浜ラーメンなのに、
全然味がしませんでした



せっかくの奢りだったのにね…





                                 ・

横恋慕1982/11/04 23:00






「横恋慕」中島みゆき








当時、中島みゆきの最新シングルだった「横恋慕」


それまでの、イメージを破る軽快でキャッチーな曲と、
ブリブリなみゆきのボーカル
このシングルをボクはとても気に入っていました



確か、姉の葬式が終わった直後だったと思います


夜中、外へ缶コーヒーか何かを買いに行った帰り道
何故かこの曲を口ずさみながら泣きました



”悪いけどそこで 眠ってる人を
起こしてほしいの 急いでいるの 話があるの”



泣いていたのに、涙が出てこなくて‥


葬式では、喪主として泣きたいのを堪えていたから、
一人になって、やっと泣けると思ったのに、泣きたいのに、
断水中の水道のように、微かに涙が滲むだけ‥





それから十年以上、ボクは泣く事が出来なくなりました





                                   ・

ファイト1982/11/03 04:25









中島みゆき「ファイト」





彼女がオールナイトニッポンをやっていた時
リスナーから送られて来た手紙に答えて作られた曲


中島みゆきは元祖COCCOの様な存在

リスナーの想いを引き受けてしまう…





ボクも一度だけ、
中島みゆきに手紙を書こうと思った事があります




それは姉が死んだ時



こんなにも辛くて悲しいのに
世界は何も知らず関係無しに日常を消化していく

その事が、悔しくて、許せなくて…

当時、オールナイトニッポンのヘビーリスナーだったボクは
投書して読んでもらえれば、全国に姉の死を伝えられる…
ボクの絶望を知って貰える…

姉の死が受け容れられなくて
親戚に連絡するのも嫌だったのに
姉の死から逃れられないのなら、
世界中に姉の死を知って欲しい、そう思いました

ボクがどんなに絶望しても
姉がこの世から居なくなった事に世間は気にも留めない…

それが許せなくて…

ボクら家族にとってその事実がどれほど大きいものか、
少しでも多くの人の知ってもらいたかったのです

そんな想いから、手紙を書こうかと思ったけど…
でも、結局書けませんでした

読まれなかった時のショックが大きい気もしたし、
読まれたからといって、その事で何か救われるのか…

そんな事を考えてる内に、
タイミングを逸してしまいました

何だか姉をネタに手紙を書くという自意識の
イヤらしさが気持ち悪くもありました



今思えば、書いとけば良かったとも思います


そうすれば、読まれなかったとしても、
この歌の中に、ボクの想いも、姉の存在も、
刻まれていると思えたのにね…





告別1982/11/01 23:57








気持ちが高ぶって熟睡出来ませんでした




当然、目を覚ましても姉の死は夢ではなく
現実として、ボクが目を覚ますのを待っていました






喪服を持っていなかったボクは、叔父さん達に
借りてくるように命じられ、貸し衣装屋へ行きました

「着るモノなんてどうでも良かろうモン…」

そう、思いつつも、
やはりそういう訳にも行かない事も分かっています…



喪服を着て、儀礼的に訪れる人に挨拶をし、
ただ儀式を進めていきました

何も納得出来ていないのに、社会的行事は
粛々と進めていかなくてはならない

その感情を伴わない記号的な行為に
ウンザリしながらこなしている時

高校の担任だったヨシドミさんが
サブちゃんやイケチャンと一緒に弔問に来てくれました

複雑な笑顔でボクを気遣ってくれる彼ら

その顔を見た時だけ、少し息をつく事が出来ました





そして、迎えた告別の時




出棺され霊柩車に姉が乗せられます

ボクは喪主として挨拶をさせられました

でも、何か話すと泣いてしまいそうになります

それを堪えながら、
とにかく通り一遍の挨拶を済ませました…

そして促されるまま車に向かうと、
ボクと一緒に霊柩車に乗り込もうとする母を、
周りの親戚が止めます

その時初めて知ったのですが、
子供の告別に、親は火葬場までは付き添えないのでした

親の想いが子の魂を、この世に引き止めてしまう…

成仏を妨げるという理由で、
親は火葬場にはいけないのだそうです

しかし、そんな理由を母が納得できるはずもありません


「あたしが腹ば痛めて産んだ子よ!!
そのあたしが、何で一緒に行かれんとねぇえええ!!!」


親戚の腕を振り解こうともがきながら泣き叫ぶ母…


その姿を目の当たりにして、
ボクはこの人より先に死んでは行けないんだ…
と、肝に銘じました



母を置いて、車は走り出します

彼女の叫ぶ声が、耳に焼き付いて離れません…



…疲れた…

もう勘弁してくれ…



着いたのは山の上の火葬場

父やお祖父ちゃんを焼いた火葬場とは違い
綺麗な建物でした

昔のは”焼き場”という言い方が
ピッタリの雰囲気でしたけど…

場所が違うのか建て替えたのか、
記憶は定かではありません



お棺を焼却炉へ入れる前に、最後、お別れの為に
姉の顔を見せてくれました

姉の寝ているような顔を見てると、思わず

「燃やさないでくれ!」

と言ってしまいそうになりました

そして、より深い絶望が涌いてきて、涙が溢れてきました


火葬というのは残酷だなと思います

この事で全ての可能性は無くなってしまうよう…
可能性なんてとっくに無いのは分かってるけど…

骨にしてしまうというのは、
本当にこの世からその存在を無くしてしまう

もう存在しないのだと、突きつけられるしんどさ…

身内にとってこれほど残酷な事はありません



姉を焼いている間、待合室に通されました

付き添いの親族は20人ほど居たでしょうか

最初は神妙にしていた人達も
お茶を飲みながらの会話が始まります

その内笑い声も聞こえてきて、ボクは居たたまれなくて
待合室の外へ出ました

結局、本当に悲しいのはボクと母親だけ
親戚といえども他人事なのです



一時間くらい経ったでしょうか、
係の人に呼ばれ、ボクらは骨を拾いに行きました

カスカスになった骨の屑

もうそれに、姉の面影は何も残っていません

もう、涙も出ませんでした



本当に姉はこの世にもう存在しないのだ…



火葬まで見届けた今

もう、何も誤魔化しようはありませんでした





                                  ・

ろすと(後編)1982/10/30 23:49

つづき




「残念ですが、もう…」




医者は母に告げました


力無く座り込む母




”心筋梗塞”




姉の死に付けられた理由です


毎日、潰れるまで飲み続けたアルコール

その後、渇きを癒すため呑んでいた氷水と
酔いを覚ます為の入浴

それらが、姉の心臓を弱らせていたのです


自殺行為だった…


何故、その事に気付かなかったのだろう…




ボクは”やられた”と思いました


何にやられたのか自分でも説明しづらいのですが、
簡単に言うと、神様だか死に神だか…
そんなモノに罰を当てられた…そんな気分でした


子供の為と言いながら、
結局は自分の都合を押しつけていた母

そんな母に反発しながら、やはり自分の事しか考えず
全てを姉に押しつけようとしていたボク…

姉自身の弱さも当然あったけど、
そんな姉の弱さを、ボクも母も知っていたはずです

…知っていながら、
その弱さをボクらはフォローしてやれなかった…

特にボクはフォローしなければいけなかったのです

高校に入学したばかりの時、姉はボクに
「逃げても良いよ」と言ってくれました
その事にボクは救われました

だからボクは彼女に「逃げてもいいんだよ」って
言って上げなきゃいけなかったのです

”先にボクが東京へ行くから、
姉ちゃんも東京で仕事見付けなよ”

そう言って上げられれば、
姉は必要以上に抱え込む事はなかった…




看護婦はテキパキと姉の服を脱がせ
死に装束に着替えさせます

ボクはボーッとそれを観ていました

午後の日射しが窓から射し込み
姉の身体を照らしていました

丸裸にされた姉の乳房が柔らかく揺れ
ボクは綺麗だなと思いました







絶望しながら、でもまだ、現実感が無くて…認めたくなくて…

ボクは途方に暮れ、思考は停止していました






頭の奥がジンジンしていました










母がボクに親戚へ電話をするように言います


「お母さんは、姉ちゃんの仕度ば、せんといかんけん…」





頭では分かっています

人が死ねば、親戚や友人・仕事関係などを呼んで
葬式をするのが社会的常識だと…

しかし、本心は…

…ボクらでさえまだ姉の死を受け入れきれてないのに
何故、姉の死を言って回らなきゃいけないのか、
全く納得出来ませんでした…

納得出来なくとも、連絡しない訳にはいきません

親戚へ電話を掛けました

「あら、角嗣ちゃんね?どがんしたと?」

…混乱して、上手く言葉が出ません…

「…姉が……亡くなりました…」

そう言葉にしたとたん、姉の「死」が現実として
ボクの心に込み上げてきて、
言葉に詰まり涙が溢れてきました

「え!?ほんなごつね??なんでね!!??」

もう、何も訊かないでくれ……そう思いながら

「心筋梗塞で今日突然に…」

と、絞り出しました

とにかく事実だけを伝え、
他の親戚にも伝えて欲しいと頼み電話を切りました





”ピンポーーーン”


玄関のチャイムが鳴りました

ドアを開けると、サブちゃんが居ました

この頃、毎日のようにサブちゃんは仕事帰りに
ボクの家へ遊びに来ていました

何も知らないサブちゃんは、いつもの笑顔で立っています

玄関の外にある何も変わらない日常…

でも、玄関から中には受け入れがたい非日常があって、
ボクは、それをサブちゃんに伝える事が出来ませんでした

「ゴメン…!!今は、何も訊かずに、帰ってくれ!!」

そういうボクの表情からか、
ただごとではないモノを感じてくれたのでしょう
サブちゃんは何も訊かずに帰ってくれました




疲れた…一人になりたい…此処から逃げ出したい…




葬式の手配は、父の弟である叔父がしてくれました



夜にはすっかりお通夜の準備もでき、
親戚達も訪れてきました

母は姉の傍らに付きっきりで、彼女の手を握り、
時折、頬を撫でたりしていました


「何で、こがん事に……何で、死なんばいかんやったと…」


ボクは、来てくれた親戚を迎え入れたり挨拶をしたり…

その他の賄い事は、親戚のおばさん達がしてくれました


夜中になってからでしょうか

場が落ち着いた頃、ボクは休む事を許され、
自分の部屋で布団に入りました

やっと、一人になれた…

考えてみれば、多分30時間位は
寝てなかったのではないでしょうか

本当に疲れました…

でも、身体も心もヘトヘトなのに、
頭の奥の方がジンジンしていて、
なかなか眠りに着けません




寝て、今度目覚めた時には何もかもが夢だった…




そうである事を祈りながら、
ボクは浅い眠りの中へ入っていきました





                                   ・

ろすと(前編)1982/10/30 01:46




この年、ボクは高校を卒業しました

卒業してからは、叔父さんの工務店でバイトをし、
東京へ行く為の資金作りをしました

そのバイトも、責任が大きくなりつつあったので
半年を過ぎた辺りで辞めて、後は短期のバイトをしつつ
東京行きの準備をしていました


時代はバブルに向かおうとする頃

家の建て替えと共に独立して母が始めた呑み屋は
母と姉の二枚看板で、繁盛していました


姉は、お店を手伝う事に抵抗を感じていたのですが
自分がしたい事を見付けられず、
その状況を何とか受け入れようと悩んでいるようでした

母は、ボクにも板前になって店を手伝って
欲しいと思っていたようですが、
ボクにはやりたい事があって、
この家を出て行く事しか考えていませんでした

東京へ行く事に不満の母
しかし、姉は反対しないと思っていました

ある日、彼女はボクにこう話を切り出しました

「東京しか無かとね?
あんたがおらんごとなったら、この家は、どがんすっと?
姉ちゃんでん、いつかは結婚してこの家ば出ていくばい。
そがんすっぎ、お母さんは?」

賛成してくれてると思っていた姉の本音に
ボクは戸惑いました

「…この家は姉ちゃんに上ぐ…財産とかもいらんけん、
オイの好きにさせてくれんね!!」

絶句したように、言葉に詰まる姉



「…そがん……あたし一人、ここに残して行くとや…」



…分かってはいました

姉が言いたかった事は…


その時も、愛人は家に出入りしていました

何とか納得しながら店を手伝い、
傍目からは母と上手く付き合っているように見えても、
姉の本心は、やはり水商売は好きになれないし、
愛人の存在も認めてはいなかったはずです

そんな状況で、ボクが出て行く…

この状況の中、自分だけ…自分一人残されていく事に
姉は居たたまれなかったのではないでしょうか…

ボクも姉と同じ不満を持っていて、
だから、この家を出て行く事しか考えていませんでした

自分の事しか考えていませんでした…



姉は、毎日のようにお店が終わった後、
お客や友人と呑みに行くようになりました

その度に、グテングテンに酔っぱらって帰ってきては
居間で潰れていました

ボクはその頃、毎日居間で
朝までビデオを観たり絵を描いたりしていました

そして姉が酔いつぶれて帰ってくる頃
自分の部屋へ戻り、布団に入りました


その日も、居間で絵を描いていました

明け方近くに、姉が酔っぱらって帰ってきました

いつもの事です

テーブルに突っ伏して眠る姉

「ちゃんと部屋で寝らんね!」

そう声を掛けるのもいつも通り

窓から射し込む朝の日射しが強くて
今日は快晴になりそうでした

ボクは博多まで本を探しに行こうと思いました
この天気なら、バイクで行っても寒く無さそうだし
まだ、全然眠くない

このまま寝ずに博多へ行く事を決めました

仕度をして、朝の十時頃家を出たと思います

出る時、居間の方を観ると
姉はまだ居間のテーブルに突っ伏したままでした


ホントに良い天気で、ツーリング日和

厚着をしていたら汗ばむほどの天気

博多の入り口辺りにある書店で、
運良く欲しい本を見付ける事が出来たボクは、
眠気もあったので、それより深追いはせず、
佐賀に戻る事にしました

来た甲斐がありました
天気も良いし、良い気分


お昼頃には家に着いたでしょうか


階段を上がり、玄関のドアを開けると、
母親が血相を変えてボクに詰め寄ります







「…姉ちゃん!!死んどっよぉおおおお!!!!」







…?






言っている意味が飲み込めませんでした






狼狽している母親越しに、居間に横たわる姉に
心臓マッサージをしている医者と看護婦の姿が見えました





何で?





母が医者に呼ばれて、居間に戻ります


ボクは、状況が飲み込めず、玄関に立ちつくしていました







                                 つづく

特別な日1981/01/21 17:31

川上の月(コンタ)



ボクが高校を卒業したばかりの頃でしょうか

休日だったのかな

姉がボクのところに来て言いました


「御飯おごるからドライブに付き合わない?」


する事も無かったので、ボクは付き合う事にしました


良く晴れた日でした

ドライブ日和です


車は川上の方へ向かいます


車の中で、姉はそっと話しをしました



「今日は子供の命日なの…」


…そうなんだ…


ボクには言いようもありません









三年ほど前


まだ、姉が高校生の頃

彼女は、当時付き合っていた同じ歳の彼との間に
子供を身ごもりました

姉は産みたかったようです

母の説得に泣きじゃくっていた姿を覚えてます

ボクは、その時も”生めばいいじゃん!”と思ってたけど
それを口にする事はありませんでした

(学生が子供を育てる事が大変なのは想像付いたし…)


結局、彼の母親が家へ訪れ、
「堕ろしてくれ」と直談判されて、彼女は諦めたようです


(ふたりは、高校を卒業後、別れてしまいました)



去年、実家に帰った時、母がその時の話を持ち出して

「生んどけば良かったとけ…」

と、言いました

ボクは呆れて、

”あんたも堕ろせって説得してたくせに!?”

と言うと、母は怒ったように

「何て言いよんね。あっちのお母さんの、家に来て、
”堕ろしてくれ”てお金ば置いて行きんさったけん、
姉ちゃんは堕ろしたとばい!!」

あんたも、それに乗っかって反対してたでしょうが…

全く都合がいいモンです


姉の彼は養子という話でした

子供の出来ない両親が、
兄弟だったか従兄弟だったか…その子供を養子として
育てたとの事

家業があり跡取り息子として、大事に育てられたようです

母の話では、今では両親共もうこの世には亡く、
家業も潰れ、彼自身二度の離婚の末、
行方が分からないとの事でした

…悲しい話です













車は、川上のあるお寺の前で停まりました


ここに、その子が祭られてる…

…初めて知りました


「どうする?」


と、姉が訊きます


”車で待ってるよ”


ボクは居た堪れない気持ちだったから、
彼女と一緒に中へ入る気になれませんでした

多分、姉も一人の方が良いんじゃないかと、思ったし…

でも、今はそれを後悔しています

一緒に行って、見届ければよかった

薄情な叔父さんを許してね…


「じゃ、行ってくるね」


そう言って、姉は、お寺の石段を上がっていきます


当時、無責任すぎる彼に、とてもムカついていました

姉に対しても

”泣く位だったらちゃんと避妊しろや!”

と、腹も立ててました


でも…


彼女は彼女なりに精一杯背負っているんだな…

姉の背中を見送りながら、そう思いました








若さって、残酷ですね

怖いモノ知らずなのは若者の特権だけど、
未熟故、相手の事を思ってるつもりが、
結局、自分の事しか考えて無かったり、
快感原則に流されたりで、相手も自分も傷ついてしまう…

甘酸っぱい想い出になるくらいで済めばいいけど、
時には、一生疼き続ける傷跡を残す事もあります



ボクも若すぎた…

今なら、姉に言って上げられる事があるのに、
この時は、何の言葉も持ちませんでした

…ボクは、若さ(未熟さ)を、
いいと思った事はありません

十代の頃のボクは、最低です



                                     ・

子供の終わり1979/03/24 03:46

横小路のコスモス(パワショ)



ボクが高一の時、実家は道路拡幅の為、
建て替えになりました

建て替えの間、近所の空き家を借りて住む事になりました


母の新しい男が出入りするようになったのは、その頃


今までも、何人かの男が出入りしていたので
そのこと自体はボクや姉は慣れっこでした

しかし、今度の男は
今までの人達とは決定的な違いがありました


それは、彼が家に”泊まる”という事です


それまで、家に来ていた男達は、ボクらに対して、
あくまで母親と仲の良いおじさんを演じてくれました

だから、家に来ても、ボクらにお土産を持ってきたり
楽しげに食事をしたりして、帰っていきました

(”京都のおじさん”は家に来た事すら無かった)

ボクらの前で、男と女という関係を
あからさまにする事はしなかったから、
ボクも姉も、それに合わせて無邪気な子供で居られました


でも、新しい男はそうじゃなかった…

家に来てメシを食い、そして、母と一緒の布団で寝ました

あると思っていた”暗黙のルール”が破られた事に
ボクら姉弟はショックを受けました


どうして…?


ボクら姉弟は話し合いました

そして、意を決して母に直談判をする事にしたのでした



「お母さん、頼むけん…
あん人ば家に泊めるとだけは止めてくれんね?」


分かりきっている事とは言え、
母親が”愛人”である事を突きつけられるのは
子供としては辛かったのです

しかし、母の答えは…


「何ば言いよっとね、あんた達は!!
自分達が、どがん金で生活しよっと思うとっと!!」


激高する母…


「あんた達に、飯食わせて学校行かせる為に
あたしが、どがん事ばしてきたか…!!
京都のおじさんとあたしがどがん関係やったか、
大阪のおばさんに訊いてみらんね!!!!!」


…そんな事は訊かなくても分かってるよ…

分かった上で、ボクらの前ではあなたに
嘘でも母親を貫いて欲しかったし、
ボクらは子供で居たかったのに…

ボクらの頼みに、まさか、
ここまで母が反発するとは予想していませんでした


絶望に泣きじゃくる姉の横で、
ボクの心はどんどん冷めて行きました


”もう…ボクらは、子供では居させて貰えないんだ…”


ボクは諦めと共に決意をしていました


まだ二十台の内に夫を亡くし、
中卒で何の資格も持たない女が
子供二人を育てるのは大変な事です

精神的にも物理的にも誰かに頼りたい…
その気持ちを否定する事は出来ません

一人の女としては当然の事だと思います
しかし、二児の母親としては…


彼女はボク達に対して
母親である事を止めたのだと解釈しました


…その日から、ボクに母親は居なくなりました

居るのは、保護者の女の人



高校を卒業したら、この家を出よう…


そう決意しました



                                   ・

最悪の日々(高校編)1978/05/23 16:39

多布施側の夕景(コンタ)




中学校生活も最悪でしたが、高校はもっと最悪でした



殆ど一夜漬け状態で臨んだ高校受験でしたが、
奇跡的に県立の工業高校に合格

母は嬉し泣きし、
「無理だから志望校を替えろ!」と言っていた
中学校の担任は抱きしめてくれました

腐っても鯛、工業高校でも県立

世間体的にも学費的にも大違いです


ボクも入学するまでは只、嬉しいだけでした


しかし、入学して思い知ったのは、
工業高校は軍隊並みの縦社会だという事

機械科、電気科、建築科など5つ(だったかな?)の科があり
同じ科の上級生に対しては絶対服従が当然でした


だけど、それが良く分かってなかったボクは入学して早々に、
先輩方から目を付けられてしまう事になります


”ひーたれ”のクセに、ミョーな正義感があって
融通が利かないボクは、同級生が先輩に殴られた事を
先生に言ってしまったのでした

全く‥今にして思えば、
本当に頭の悪い子だと、我ながら呆れてしまいます

誰も望んでなかったのに‥
殴られたヤツさえ望んでなかったのに‥(苦笑)


まあ、そんな事をすれば当然絞められます

上級生のクラスに呼ばれ、”スパーリング”させられたり
体育館倉庫に呼び出され、剣道の”稽古”をつけて貰ったり
(涙笑)

といった感じで、ボクの高校生活は、
最悪の状態で始まったわけです

上級生が卒業するまでの二年間、
こんな事が続くのかと思うと絶望的な気分になるけど、
今更どうしようもありません

あんなに高校合格を喜んでくれた母親には尚更
今の状態を話す気にはなれませんでしたし、
ボクは、只々黙って日々をやり過ごすしかありませんでした



ある日の夜、食事を終えボクは、
憂鬱を抱え自分のベッドでフテ寝をしていました

すると、姉がボクを呼びます

布団から出て、姉のところに行くと、
姉は今まで見たことの無いような、
神妙な表情と口調でボクに言いました


「あんた、今の高校に行きとう無かない、言いんしゃい
姉ちゃんの知り合いに学園の人がおりんさっけん
転校の手続きばしてやっよ」


ボクは、その言葉を聞いて、
心がスッと軽くなっていくのが分かりました


この時まで、ボクの憂鬱は
家族には気付かれて無いと思っていました
上手く誤魔化せてると‥

それでも、姉は気付いてくれていた

ボクの事をちゃんと見ていてくれる人が居る‥

それだけでボクは救われた気持ちになったのでした


「‥ううん、大丈夫だから」


ボクはもう少し頑張れる気持ちになっていました

「ほんとに?よかよ、無理せんでも?」

そう言う姉に、作り笑顔で答え、申し出を固辞しました


それからも、色々辛い事はあったけど、
何とか卒業まで辿り着けたのは、この事があったからです


そして、この事で、
気分屋でヒステリックで外面の良い人という
姉の印象が、ガラリと変わりました


                                     ・

無題1978/04/22 23:48






運命や宿命を感じる時が、希にあります

因果応報…そんな事を思う時もあります





彼女との出会いは半年ほど前になるでしょうか


ボクの日記で天神杉に惹かれ
そこからボクがSyrup16gのファンである事を知り
メッセージをくれました

Syrypに惹かれるには資格が必要です

打ちのめされ続けながらも諦めきれない人…

そういう人でなければSyrupは効力を持ちません

聴き流せる音楽ではないんです
決してBGMにならない音楽です



何度かメッセージを交わす内に
彼女がボクの通っていた中学校の後輩で、
当時仲の良かった友人が
彼女の初恋の人だと言う事が解りました

こんな奇遇もあるんですね
とても不思議な気分です





その友人、シンヤとの出会いは、小学生の頃

確か四年生の時、仙台から転校してきたと記憶しています

第一印象は、色白でフランケン顔だな…(笑)というもの


彼との最初の接近遭遇は最悪のモノでした

掃除の時間、クラスメートとふざけていたボクが
投げた雑巾がシンヤの顔面を直撃

(やっちまった…!)

そう思った瞬間、
目に涙を溜めてシンヤはボクに殴りかかってきました

完全にボクが悪い…

ボクの胸や背中に拳を振り下ろす彼に対して
何も出来ず苦笑いで誤魔化すしかありませんでした



出会いは最悪でしたが、
家が近所で帰り道が一緒だったボクらは
いつの間にか一緒に下校するようになり
自然と仲良くなりました

彼の家へも遊びに行くようになりました

当時彼の家の横が空き地で、
そこの土を掘り返し窯を作り
粘土を捏ねて、土器の鈴を焼いて作って
遊んだ事をよく憶えています

(火を使ってたから、近所の人に怒られたりしましたw)

シンヤとはそれから小中と6年ほどを
クラスメートとして過ごしました

小学生の間は、本当に仲が良かった…
親友と呼んでも良い位かもしれません

しかし、中学に上がると、状況が徐々に変化していきます

まず、彼がブラスバンド部に入る事で
一緒に帰る事が減りました

それでも、まだ仲は良かったし、信頼関係もあったと思います

確か中一の時だったと思うのですが、こういう事がありました

どういう理由かよく憶えてませんが、
放課後だったかに、
シンヤが自分の席で女子数名に囲まれてました

モテモテ…というワケではなく、何か責められていました
(多分、席を替われとか言われてたんじゃないかな…)

どう考えても理不尽な要求をしている女子の輪の中に
ボクは割って入り、「帰るぞ」と、
手を引っぱって連れ出しました

そんなボクにも、彼女たちは非難の言葉を浴びせましたが
無視をして帰りました


ここまでは良かったのです
ここまでは…


シンヤとボクの間に歪みが出来たのは
やはり、これも中一だったでしょうか


小学校の時の、おおらかな雰囲気は中学では薄れ
”どこ小出身”とかで勢力争いみたいなモノもあって
ミョーな緊張感がありました
受験というモードの授業にも緊張感が増し
どことなくギスギスした雰囲気がありました

そんな緊張感に馴染めず、
ボクの気持ちはどんどん萎縮していて、
そんな時に、事件は起きました


ある日、(昼休みだったかな…)
シンヤとあるクラスメートが揉めていました

そいつは確か野球部のツッパッてた奴で、
番長気取りのそいつは、
生意気に映る奴が居ると直ぐに頭を抑えようと尖っていました

ボクも、一度締められ掛けた事がありました

そして、この日の標的はシンヤ

仲の良い事を知っている同級生がボクの所へ来て
「助けに行ってやれよ」と言います

ボクは迷ったけど、結局、助けに行きませんでした

前に揉めて嫌な思いもしたし、
肉体的に勝ち目がないと分かっているヤツに
立ち向かう勇気を持てませんでした

”二人の問題だろ?オレが干渉するのは筋違いだよ”

そんな、もっもらしいいい訳をしてボクは
その場を動こうとしませんでした…

暫くして、揉め事が終わった後、
シンヤがボクの所にやって来ました

「…何で、助けに来てくれなかったんだ?」



…ボクは、その時に何と返事をしたんだろう…?
”二人の問題だろ?”
そんないい訳を繰り返したのかもしれません

でも、何を言ったかも思い出せない位、
内心、ボクは慌て焦り情けなさで混乱していました

ボクはどうして、前の時みたいに…女子の輪の中から
彼を連れ出した時みたいに、助けに行けなかったのか…

後悔しても、何もかも後の祭りでした


そこから、ボクとシンヤの関係には
溝が出来てしまったように感じます

そして、その溝は埋まらないままボクらは
中学の三年間をクラスメ-トとして過ごし、
卒業後は完全に関係が途切れてしまいました


シンヤとボクは違う高校に入学しました
だけど、学校同士は近所で
ボクの高校とそこの学生は
登下校一緒になる事も多かったです

高校の入学式の時だったかな

帰り道、遠目に自転車を漕いで
こちらに向かってくるシンヤを見付けました

ボクは立ち止まり、声を掛けようかどうしようか迷っていると
シンヤは正面だけを見つめ、ボクに気付いてもいないように
勢いよく走り去ってしまいました

ボクがシンヤを見た最後の姿です





中学高校と、ボクには良い想い出はありません

最低で惨めな自分と向き合う六年間だったように思えます

シンヤの事だけでなく無様な事だらけ

Syrupが必要なはずです(苦笑)





あれから三十年、ボクは何か変わったでしょうか

今なら、ボクはシンヤを助けに行けるでしょうか


…分かりません


ただ、もうあんな想いは二度としたくない…

その想いだけは強いです








ひょんなことから、懐かしくも苦い過去を思い出しました

でも、思い出せて良かった


彼女がこれを読んだら半笑いでしょうけど(笑)




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