嫌われる勇気 ― 2014/05/29 11:25

・
他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。ここは強くいっておかねばなりません。
承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。
あなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待をみたすために生きているのではない」のです。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。
”嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え”
他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。ここは強くいっておかねばなりません。
承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。
あなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待をみたすために生きているのではない」のです。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。
”嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え”
「最後だとわかっていたなら」 ― 2013/05/31 20:00
「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと
だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を 持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
『最後だとわかっていたなら』(サンクチュアリ出版)より
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと
だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を 持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
『最後だとわかっていたなら』(サンクチュアリ出版)より
私をもっとよくみて ― 2009/11/28 16:07
・
”何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく
目をうつろにさまよわせて
食べ物はぽろぽろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」といっても
あなたのしていることに気付かないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたが考えていること、あなたが見ているものではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見てはいないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう,ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるままに起き上がるこの私が、
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか,
わたしは十歳の子供でした。父がいて、母がいて
きょうだいがいて,皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁。守ると約束した誓いを胸にきざんで
私の心は躍っていました
二十五歳で私は子供を生みました
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした
三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子はお互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました
五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました。 夫が死んだのです
先のことを考え――不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました
いま私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優雅さも気力も失せ、
かって心があったところには今では石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心は膨らむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ,あまりに遠く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです
だから目を開けてよ、看護婦さん――目を開けてみてください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよくみて!”
パット・ムーア著『私は三年間老人だった』
ある方の日記を読んで知りました
イギリスの老人病院で亡くなられた老婦人の持ち物から
看護師が見付けた一編の詩だそうです
ボクが物心ついた頃、母はまだ二十代半ばでした
ボーリングをしたりスケートをしたり、
オシャレにも興味があって、それなりに活発で
今の二十代の人達と大して変わらない女性だったと思います
でも、今では歩くのも危なっかしいお婆ちゃんです
そしてボクも、そう遠からず老人になるでしょう
時の流れは残酷だと思います
十代二十代では、なかなか親の若い頃や
自分が老人になる事をリアルに想像出来ないでしょうけど…
ただ、老人に限らず、他人を思いやる気持ちは
相手の人生に対する想像力があってこそだと思います
その想像力はどうすれば養われるのでしょうね…
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”何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく
目をうつろにさまよわせて
食べ物はぽろぽろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」といっても
あなたのしていることに気付かないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたが考えていること、あなたが見ているものではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見てはいないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう,ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるままに起き上がるこの私が、
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか,
わたしは十歳の子供でした。父がいて、母がいて
きょうだいがいて,皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁。守ると約束した誓いを胸にきざんで
私の心は躍っていました
二十五歳で私は子供を生みました
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした
三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子はお互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました
五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました。 夫が死んだのです
先のことを考え――不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました
いま私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優雅さも気力も失せ、
かって心があったところには今では石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心は膨らむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ,あまりに遠く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです
だから目を開けてよ、看護婦さん――目を開けてみてください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよくみて!”
パット・ムーア著『私は三年間老人だった』
ある方の日記を読んで知りました
イギリスの老人病院で亡くなられた老婦人の持ち物から
看護師が見付けた一編の詩だそうです
ボクが物心ついた頃、母はまだ二十代半ばでした
ボーリングをしたりスケートをしたり、
オシャレにも興味があって、それなりに活発で
今の二十代の人達と大して変わらない女性だったと思います
でも、今では歩くのも危なっかしいお婆ちゃんです
そしてボクも、そう遠からず老人になるでしょう
時の流れは残酷だと思います
十代二十代では、なかなか親の若い頃や
自分が老人になる事をリアルに想像出来ないでしょうけど…
ただ、老人に限らず、他人を思いやる気持ちは
相手の人生に対する想像力があってこそだと思います
その想像力はどうすれば養われるのでしょうね…
・
AERA ― 2009/05/12 17:23
・
通勤前
寄ったコンビニの雑誌コーナーで赤い表紙に目が留まる
蜷川実花が表紙のAERAでした
蜷川実花にはそれ程興味はありませんでしたが、
気になったので雑誌を手に取り、目次を見てみると
”エレファントカシマシ”の文字が
買ってしまいました
「結局生きるって、義務を果たしながら、
自分のその時の場所を探し続ける事位しかないんですよね
”僕は何の係りだろう?”と探していく。
それが一番つらくて、難しいんですが‥‥‥。
僕のマンションの管理人さんは毎朝6時に起き、
ゴミを分別し、窓をピカピカに磨く。
その人にとっては自然な事なんだろうけど、
手紙を書いて感謝を伝えると、すごく喜んでくれた。
誰だって自分の役割を確認できると嬉しいじゃないですか。」
AERA 宮本浩次(エレファントカシマシ)インタビューより
ボクは何の係りだろう‥?
それを、ずっと探し続けてきた気がします
今は、少しだけ、自分の役割が見えてきたかな
勘違いかもしれないけど(笑)
何年かすれば、また違う係が待っているなら
それはそれで良いです
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通勤前
寄ったコンビニの雑誌コーナーで赤い表紙に目が留まる
蜷川実花が表紙のAERAでした
蜷川実花にはそれ程興味はありませんでしたが、
気になったので雑誌を手に取り、目次を見てみると
”エレファントカシマシ”の文字が
買ってしまいました
「結局生きるって、義務を果たしながら、
自分のその時の場所を探し続ける事位しかないんですよね
”僕は何の係りだろう?”と探していく。
それが一番つらくて、難しいんですが‥‥‥。
僕のマンションの管理人さんは毎朝6時に起き、
ゴミを分別し、窓をピカピカに磨く。
その人にとっては自然な事なんだろうけど、
手紙を書いて感謝を伝えると、すごく喜んでくれた。
誰だって自分の役割を確認できると嬉しいじゃないですか。」
AERA 宮本浩次(エレファントカシマシ)インタビューより
ボクは何の係りだろう‥?
それを、ずっと探し続けてきた気がします
今は、少しだけ、自分の役割が見えてきたかな
勘違いかもしれないけど(笑)
何年かすれば、また違う係が待っているなら
それはそれで良いです
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安心 安心 ― 2009/02/18 16:32
・
「クロもね。いっぱいネジ無いの。
心のネジ。
でもクロの無い所のネジ、シロが持ってた。
シロがみんな持ってた。」
松本大洋「鉄コン筋クリート」より
ずっと観たいと思っていた映画でした
でも、なかなかタイミングも合わず、レンタルにも行けず、
観れないでいたのに…
先週の金曜、仕事中の会社で深夜
偶然回したチャンネルで、出くわしてしまいました
このタイミングで…
必要なモノとは必要な時に出会う
ボクはいつもそうです
ボクにも沢山のネジが足りません
その所為か、たまに心がギシギシ言います
でも、ボクは誰かの為のネジを持っていたりもします
そのネジを、”その人”に渡して上げる為に
ボクは生き延びているのかもしれません
・
「クロもね。いっぱいネジ無いの。
心のネジ。
でもクロの無い所のネジ、シロが持ってた。
シロがみんな持ってた。」
松本大洋「鉄コン筋クリート」より
ずっと観たいと思っていた映画でした
でも、なかなかタイミングも合わず、レンタルにも行けず、
観れないでいたのに…
先週の金曜、仕事中の会社で深夜
偶然回したチャンネルで、出くわしてしまいました
このタイミングで…
必要なモノとは必要な時に出会う
ボクはいつもそうです
ボクにも沢山のネジが足りません
その所為か、たまに心がギシギシ言います
でも、ボクは誰かの為のネジを持っていたりもします
そのネジを、”その人”に渡して上げる為に
ボクは生き延びているのかもしれません
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メモ ― 2009/02/08 21:25

・
「人間は一人で生まれて一人で死んで行くんだから
さびしいけどさいごのさいごは一人なの。
だから生きている間は いっぱい好きな 人と一緒にいて
楽しい思いをするのよ」
ゆりちかへ―ママからの伝言
テレニン晃子
テレニン晃子
1972年2月6日佐賀県唐津市に生まれる。
大学より福岡市へ
2002年4月1日に結婚。
妊娠中の2005年秋に、脊髄悪性腫瘍だと分かる。
2006年2月6日に長女・柚莉亜が生まれる。
2008年2月25日逝去。享年36歳。
「人間は一人で生まれて一人で死んで行くんだから
さびしいけどさいごのさいごは一人なの。
だから生きている間は いっぱい好きな 人と一緒にいて
楽しい思いをするのよ」
ゆりちかへ―ママからの伝言
テレニン晃子
テレニン晃子
1972年2月6日佐賀県唐津市に生まれる。
大学より福岡市へ
2002年4月1日に結婚。
妊娠中の2005年秋に、脊髄悪性腫瘍だと分かる。
2006年2月6日に長女・柚莉亜が生まれる。
2008年2月25日逝去。享年36歳。
ビート ― 2009/01/20 12:33
写真集「大丈夫であるように」 ― 2009/01/17 17:40
友人たちへ ― 2009/01/16 19:37
ライフの大掃除 ― 2008/12/23 23:26
・
会社からお呼びがない事を良い事に
ここ数日は書きかけの日記を整理して更新しておりました
それも今日でほぼ終わり
一ちゃんを半笑いにさせた”ドラマチック墓参り”も
淡路佐賀編もほぼ完結です
更新できてスッキリです
ドラマティック墓参りもそうですが
日記を整理してると、
自分の十代と向き合うようなハメになって、
年末は過去を含め、”生きる”事について考えさせられたり
”ライフ”の大掃除状態になっています
久し振りに仕事以外で小説を読みました
読んだのは、あるブログで紹介されていた小説
唯川恵「永遠の途中」
同じ会社に同期として入社したOL二人の生き方を
対比する事で”人生”を考えさせてくれます
「後悔なら、死ぬほどして来たわ」
その内の一人、乃梨子が六十歳を迎えてこう語ります
「でもね、一番後悔しているのは…
どうしてもっと、自分の生き方に
自信を持って来なかったのだろうってことかしら
もし、あの時ああしてたらって、
自分のもう一つの人生を勝手に想像して、
それに嫉妬してしまうのね。
何だか、いつも生きてない方の人生に
負けたような気になっていたの。
そんなもの、どこにもないのに」
どうしてボクはあの人のように生きれなかったのか?
あの時ああしてれば、違う選択をしていれば…
そんな風に思う事があります
人生が上手く回ってない時には、
特にそんな考えに陥りがちです
振り返ってもしょうがないのにね…
しょうがないのに、つい振り返って、グズグズウダウダ…
多分ボクがボクである限り、ボクは同じ選択をしている
”戻らない人生も 半分はとっくだな
間違いも温めよう 今さらリセットもないさ
死ぬまで泳いでいく
くたびれたかい? そうかい?
溺れるまでサボるかい?
誰も手貸し切れないさ”
Theピーズ「ノロマが走って行く」
…うん
正しかった事も、間違いも、全て抱えて
泳いでいくしかないんだね
今更リセットもないし、溺れるまでサボる根性はないもの
クソみたいな人生かもしれないけど、
それでも最後は自分の生き方に「Yes !!」て、言って上げたい
そう思います
”ノロマで GO GO
ノロマで GO GO”
・
会社からお呼びがない事を良い事に
ここ数日は書きかけの日記を整理して更新しておりました
それも今日でほぼ終わり
一ちゃんを半笑いにさせた”ドラマチック墓参り”も
淡路佐賀編もほぼ完結です
更新できてスッキリです
ドラマティック墓参りもそうですが
日記を整理してると、
自分の十代と向き合うようなハメになって、
年末は過去を含め、”生きる”事について考えさせられたり
”ライフ”の大掃除状態になっています
久し振りに仕事以外で小説を読みました
読んだのは、あるブログで紹介されていた小説
唯川恵「永遠の途中」
同じ会社に同期として入社したOL二人の生き方を
対比する事で”人生”を考えさせてくれます
「後悔なら、死ぬほどして来たわ」
その内の一人、乃梨子が六十歳を迎えてこう語ります
「でもね、一番後悔しているのは…
どうしてもっと、自分の生き方に
自信を持って来なかったのだろうってことかしら
もし、あの時ああしてたらって、
自分のもう一つの人生を勝手に想像して、
それに嫉妬してしまうのね。
何だか、いつも生きてない方の人生に
負けたような気になっていたの。
そんなもの、どこにもないのに」
どうしてボクはあの人のように生きれなかったのか?
あの時ああしてれば、違う選択をしていれば…
そんな風に思う事があります
人生が上手く回ってない時には、
特にそんな考えに陥りがちです
振り返ってもしょうがないのにね…
しょうがないのに、つい振り返って、グズグズウダウダ…
多分ボクがボクである限り、ボクは同じ選択をしている
”戻らない人生も 半分はとっくだな
間違いも温めよう 今さらリセットもないさ
死ぬまで泳いでいく
くたびれたかい? そうかい?
溺れるまでサボるかい?
誰も手貸し切れないさ”
Theピーズ「ノロマが走って行く」
…うん
正しかった事も、間違いも、全て抱えて
泳いでいくしかないんだね
今更リセットもないし、溺れるまでサボる根性はないもの
クソみたいな人生かもしれないけど、
それでも最後は自分の生き方に「Yes !!」て、言って上げたい
そう思います
”ノロマで GO GO
ノロマで GO GO”
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